家族を養ってきた私が、娘にディズニーへ連れて行かれた日

先日、娘が家族をディズニーランドへ連れて行ってくれました。

「ボーナス出たから、今回は私が出すね」

そう言って、チケット代も、食事代も、いろいろ払ってくれました。

普通なら、
「優しい娘だな」
「ありがたいな」
で終わる話なのかもしれません。

もちろん、嬉しかったです。

本当に。

でもその日、私はずっと、胸の奥がざわついていました。

ディズニーランドは、人が多くて賑やかでした。

家族連れもたくさんいました。

小さい子どもを肩車しているお父さん。

大きな袋を持ちながら歩くお父さん。

スマホで家族写真を撮っているお父さん。

そんな姿を見ながら、私はずっと考えていました。

「自分は、ちゃんと父親をやれていたんだろうか」

と。

私は30年間、教員として働いてきました。

真面目に働いて、
家族を養って、
子どもを育てて。

特別裕福ではなくても、
それなりに“父親”として生きてきたつもりでした。

少なくとも私は、

「自分が家族を支える側なんだ」

と思って生きてきました。

でも今は違います。

娘にご飯をご馳走してもらい、
テーマパーク代まで払ってもらっている。

もちろん、娘には感謝しかありません。

ただ同時に、
なんとも言えない感情がありました。

情けなさ。

申し訳なさ。

そして、
「自分の役目は終わったのかもしれない」
という感覚。

男というのは、
特に父親という存在は、
“役割”で自分を支えている部分があります。

家族を守る。

働く。

稼ぐ。

支える。

それが自分の存在価値だと、
どこかで思っている。

だから、
支える側から、
支えられる側になった瞬間、
自分の輪郭が少し崩れるんです。

その日の私は、
楽しいはずなのに、
どこか落ち着きませんでした。

娘が笑っていて、
家族が楽しそうにしている。

それは本当に幸せなことのはずなのに、
心のどこかで、
「こんなはずじゃなかった」
と思っている自分もいました。

たぶん私は、
まだ過去の自分に縛られているんだと思います。

教員として働いていた頃の自分。

家族を支えていた頃の自分。

社会的な立場があった頃の自分。

でも、現実はもう変わっています。

人は、
一度人生が崩れると、
思っている以上に自信を失います。

収入だけじゃありません。

「自分には価値がある」
という感覚そのものが、
少しずつ削れていく。

だから私は、
娘が支払いをしている姿を見た時、
嬉しさと同時に、
自分の老いのようなものを感じました。

ただ。

帰り道で、少しだけ思ったんです。

もし昔の自分だったら、
娘はこうして家族を連れて行こうとは思わなかったかもしれない、と。

誰かに優しくできる人は、
優しくされて育った人なのかもしれない。

そう考えた時、
ほんの少しだけ、
救われた気持ちになりました。

人生って、
本当に思い通りになりません。

真面目に生きていても、
崩れる時は崩れます。

積み上げたものが、
一気になくなることもある。

でも、
全部が消えるわけじゃないんですね。

その日、
娘が笑いながら歩いている姿を見て、
私は少しだけ、
「もう一度頑張ろう」
と思いました。

まだ情けなさはあります。

不安もあります。

正直、
これから先の人生も怖いです。

でも、
ここで終わりたくはない。

もう一度、
自分の足で立てるようになりたい。

そう思っています。

人生は、何歳からでも立て直せる。

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