こんにちは、太郎丸です。
今日は少し昔の話です。
人から言われた言葉が、何年も頭から離れなかった話です。
■「今頃校長だったのにね」
私が懲戒免職になってしばらくした頃のことです。
ある親戚と、たまたま顔を合わせました。
特に親しかったわけではありません。
困っている時に連絡をくれたわけでもありません。
何か助けてくれたわけでもありません。
その親戚は私の顔を見るなり言いました。
「本当だったら今頃校長だったのにね」
私は笑えませんでした。
というか、腹が立ちました。
ものすごく。
何も知らないくせに。
簡単に言うなよ。
そんな気持ちだったと思います。
でも、不思議なんですよね。
今振り返ると、私が腹を立てていた理由は、親戚の言葉だけではなかった気がするのです。
■本当に腹が立った理由
人から言われる言葉って、全部が刺さるわけじゃないんです。
同じことを言われても、
「ああ、そうですね」
で終わることもあります。
でも、ある言葉だけは何年経っても残る。
ふとした時に思い出して、また嫌な気持ちになる。
私は長い間、
「あの親戚の言い方が悪かった」
と思っていました。
もちろん、それもあると思います。
でも最近は少し違う見方をしています。
たぶん私は、あの言葉そのものに怒っていたわけではなかったのです。
■未練って、自分では気づきにくい
不思議ですよね。
人は案外、自分の未練には気づきません。
私は教員を辞めた後、
前を向こう。
新しい人生を始めよう。
そう考えていました。
実際に転職もしました。
新しい仕事も始めました。
ブログも書き始めました。
少しずつですが、自分なりに前へ進んでいるつもりでした。
でも心の奥では、
「もし、あの出来事がなかったら」
という気持ちが残っていたのでしょう。
もし教員を続けていたら。
もしあの時、違う結果になっていたら。
そんな考えが、自分でも気づかないところに残っていたのだと思います。
だから親戚の言葉が刺さった。
校長になれなかったことを言われたからではありません。
自分自身が、まだその人生を完全には手放せていなかったからです。
■傷がある場所は痛い
考えてみると当たり前なんです。
傷がない場所は押されても痛くありません。
でも傷がある場所は少し触れられただけでも痛い。
言葉も同じなのかもしれません。
人の言葉が刺さる時。
その言葉自体が問題な場合もあります。
でも時々、その言葉が自分の傷に当たっているだけのこともあります。
そう考えるようになってから、私は少し楽になりました。
相手を許したからではありません。
相手を理解したからでもありません。
自分の中に残っていたものが見えたからです。
■人生は思った形じゃなくても続く
校長にはなれませんでした。
これは事実です。
昔の自分が思い描いていた人生とは違います。
でも、昔の私は、
教員でなくなったら人生が終わると思っていました。
ところが終わらなかった。
ホテルのフロントで働いています。
ブログも書いています。
形意拳も続けています。
思っていた人生ではありません。
でも、思っていたより悪くもありません。
人生は第一希望を失ったら終わりではないようです。
第二希望や第三希望ですらなく、
想像もしなかった場所から再スタートできることがあります。
■おわりに
私は長い間、親戚の言葉に傷ついたと思っていました。
でも本当に痛かったのは、
その言葉が私の未練に触れたからだったようです。
もし今、誰かの一言が頭から離れない人がいたら。
少しだけ考えてみてもいいかもしれません。
その言葉は、自分の何に触れたのだろうと。
答えはすぐには出ないかもしれません。
私も何年もかかりました。
でも、その答えが見つかった時、
少しだけ前に進めることがあります。
人生って不思議です。
思い描いた通りにはならないことがあります。
失うものもあります。
諦めなければならないこともあります。
それでも、人生は続いていきます。
そして続いていく中で、少しずつ違う景色が見えてきます。
私は最近、そんなふうに思っています。
人生は立て直せる。
何歳からでも立て直せる。
