最近、マクドナルドでコーヒーを飲みながら、ふと思ったことがあります。
人生を立て直すというのは、もしかすると収入や肩書ではなく、もっと小さなところに現れるのかもしれません。
以前の私は、マックに来るといつも何かに追われていました。
転職サイトを開く。
仕事のマニュアルを作る。
アンチョコを整理する。
業務改善のアイデアを考える。
もちろん、その頃はそれが必要でした。
転職活動中は不安でしたし、新しい仕事を覚えることにも必死でした。
だから前だけを見ていました。
いや、正確には前しか見えていなかったのかもしれません。
最近は少し変わりました。
本屋で買った本を持ってマックに入り、コーヒーを飲みながら読書をする。
そんな時間が増えました。
先日も本を読みながらコーヒーを飲んでいたのですが、ふと顔を上げたんです。
すると窓の外の景色が見えました。
車が走っていました。
空が見えました。
人が歩いていました。
そして手元のコーヒーを見ると、
「この蓋、よくできているな」
と思いました。
別に大したことではありません。
世界が変わったわけでもありません。
収入が増えたわけでもありません。
問題が全部解決したわけでもありません。
それでも少し嬉しかったんです。
なぜなら、そういうことに気づく余裕が戻ってきた気がしたからです。
人は本当に苦しい時、世界が狭くなります。
必要な情報しか見えなくなる。
役に立つものしか見えなくなる。
効率ばかりを考えるようになる。
それは悪いことではありません。
生きていくためには必要な時期もあります。
私にもそんな時期がありました。
でも少しずつ環境を整え、少しずつ仕組みを作り、少しずつ前に進んでいくと、不思議なことが起きます。
役に立たないものが目に入るようになるのです。
空の色。
店内の音。
窓の外の景色。
コーヒーの香り。
そしてコーヒーの蓋。
私は中国武術の形意拳を学んでいます。
その稽古の中に「立禅」というものがあります。
ただ立つだけの稽古です。
そこで教わったことの一つに、
「現象に囚われない」
という考え方があります。
身体が揺れる。
呼吸が変わる。
何かを感じる。
そうした現象は起きるかもしれない。
でも、それを掴もうとしない。
意味をつけすぎない。
ただ味わう。
ただそこにいる。
そんな稽古です。
最近の私は、この感覚に少し似ている気がしています。
人生が立て直せたのかどうか。
成功したのかどうか。
そんなことはまだ分かりません。
でも、
「あれはあれで幸せだったし、これはこれで幸せだな」
と思うことがあります。
教員時代には教員時代の幸せがありました。
今には今の幸せがあります。
どちらかを否定する必要はないのだと思います。
人生再建というと、
転職成功。
収入アップ。
資格取得。
そんな分かりやすい成果を思い浮かべがちです。
もちろんそれらも大切です。
でも、本当の道標はもっと静かなところに現れるのかもしれません。
景色が見えるようになること。
コーヒーがおいしいと思えること。
どうでもいいものに目が向くこと。
もし今、苦しい時期の真っ只中にいる人がいたら伝えたいことがあります。
今は景色が見えなくても大丈夫です。
人は苦しい時、前だけを見るようにできています。
でも少しずつ環境を整えて、少しずつ仕組みを作っていけば、ある日ふと顔を上げられる日が来るかもしれません。
そしてその時、窓の外の景色やコーヒーの蓋が目に入ったなら。
それは人生が少し戻ってきたサインなのかもしれません。
ああ、人生は、何度でも立て直せる。
何歳からでも立て直せる。
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