職場で、人にきつく当たる人を見たことはありませんか。
言い方が強い。
いつも不機嫌そう。
なぜか特定の人にだけ当たりがきつい。
そんな場面に出会うと、つい
「感じが悪い人だな」
「なんでそんな言い方をするんだろう」
と思ってしまいます。
実は私も最近、職場でそんな出来事を目にしました。
同じ職場のある女性が、別の部署の女性に対して少し意地悪とも取れるような言い方をすることがありました。
その様子を見ていた同僚の女の子が、ある日ぽつりと言いました。
「もう悪口とか言わないでほしいな」
確かにその通りです。
悪口や陰口は聞いていて気持ちの良いものではありません。
職場の空気も悪くなります。
私も若い頃なら、その言葉に全面的に賛成して終わっていたと思います。
しかし50代になった今は、少し違うことを考えるようになりました。
私はその時、こう思ったのです。
「この人に何があったんだろう」
と。
もちろん、人を傷つける言動を正当化するつもりはありません。
しかし長く教育現場と職場の両方を見てきて感じることがあります。
人は余裕を失うと、他人に優しくできなくなることがあるのです。
人は突然変わるわけではない
竹はある日突然大きく伸びるように見えます。
しかし実際には、その前に地面の下で長い時間をかけて根を張っています。
人も同じです。
ある日突然怒りっぽくなったように見える人。
突然攻撃的になったように見える人。
しかし実際には、その前から見えないところで疲労や不満が積み重なっていることが少なくありません。
評価されない。
責任ばかり増える。
人間関係がうまくいかない。
家庭で悩みを抱えている。
体調が良くない。
将来に不安を感じている。
こうしたものが少しずつ積み重なり、気づかないうちに心の余裕を削っていく。
そしてある日、その矛先が他人へ向いてしまうことがあります。
だからといって傷つける行為が許されるわけではありません。
しかし問題を解決しようと思うなら、行動だけを見るのでは足りない気がするのです。
教員時代に学んだこと
私は30年近く教員をしていました。
その中で問題行動の多い子どもたちを担任することも少なくありませんでした。
若い頃の私は、こんな声かけをしていました。
「どうしたの?」
すると子どもたちは意外なほど心を閉ざします。
目をそらす。
黙り込む。
反発する。
そんなことがよくありました。
ところがある時から、私は声かけを変えました。
「何があったの?」
たった一言です。
しかし反応は大きく変わりました。
少しずつ話し始める子が増えたのです。
後から考えると理由は単純でした。
「どうしたの?」
は本人の行動を問いかける言葉です。
一方で、
「何があったの?」
は背景を聞こうとする言葉です。
子どもたちは、その違いを敏感に感じ取っていました。
もちろん問題行動には責任があります。
しかし責任を問う前に背景を理解しようとする大人には、心を開きやすかったのだと思います。
大人も実は同じなのかもしれない
私は最近、その教員時代の経験を思い出すことがあります。
職場で誰かが怒っている。
不機嫌になっている。
攻撃的になっている。
そんな時、私たちはつい
「なんでそんな言い方をするの?」
と思います。
しかし少しだけ立ち止まって、
「何があったんだろう」
と考えてみる。
すると見える景色が変わることがあります。
もちろん答えが分かるとは限りません。
本人にしか分からない事情もあります。
それでも、
「悪い人だ」
で終わるのと、
「何かあったのかもしれない」
と考えるのとでは、自分自身の心の持ち方が変わります。
相手を許すためではありません。
自分まで感情に飲み込まれないためです。
人生が壊れる時も同じだった
実はこれは人生にも当てはまる気がしています。
人生が崩れる時、多くの人は結果だけを見ます。
失業した。
離婚した。
病気になった。
転職した。
失敗した。
そして、
「なぜそんなことになったの?」
と考えます。
しかし本当に大事なのは、
「その前に何があったのか」
なのかもしれません。
私自身も人生が大きく変わる経験をしました。
その時に感じたのは、人は結果だけでは語れないということでした。
表面に見える出来事の裏には、必ず長い経緯があります。
だから私は最近、
「誰が悪いのか」
よりも、
「何があったのか」
を考えるようになりました。
その方が物事を冷静に見られるからです。
その方が人を簡単に切り捨てなくて済むからです。
そして何より、自分自身を追い詰めすぎなくて済むからです。
問題の奥を見る視点を持つ
もし今、あなたの周りにきつい言い方をする人がいたら。
まずは自分を守ってください。
無理に理解しようとする必要はありません。
距離を取ることも大切です。
その上で余裕があれば、一度だけ考えてみてください。
「この人に何があったのだろう」
と。
答えは分からないかもしれません。
それでも、その問いを持つだけで見える景色は変わります。
人を責めるのは簡単です。
しかし本当に難しいのは、その背景を見ることです。
そして人生を立て直す時も、人間関係を立て直す時も、必要なのは案外その視点なのかもしれません。
問題だけを見るのではなく、その奥を見る。
結果だけを見るのではなく、そこに至る経緯を見る。
私はこれからも、自分自身に対しても、関わる人たちに対しても、
「どうしたの?」
ではなく、
「何があったの?」
と問いかけられる人でありたいと思っています。
人生は何歳からでも建て直せる。
何度でも建て直せる。
